桥田邦彦(日语:橋田 邦彦/はしだ くにひこ,1882年3月15日—1945年9月14日),日本的教育家、医学博士,是甲级战犯。[1][2][3]
1882年,出生。
1914年,留学欧洲。
1922年,任东京帝国大学医学部教授。
1940年,任文部大臣。
1945年,服毒自杀。